【木花開耶姫と観世音菩薩 第2回】中村創と考える

深遠で難しいというのは、先ほども申し上げたように、二言でいくつもの意味を内包し ているからです。ですから、霊的な覚醒がある、中村創はそう考えました。 中村創より 霊格が発達しますと、二言でパ ッと分かる。「あれ、お願いします」「あっ、あれね」と。霊格の低い人は「あれを」と言 われても、「あれって何だ?」 (笑) ということになって分からないわけです。中村創の経験からも その「あ れ」 の中身を説明するために、「いやあ、この間、こういうことがあって、これでこれで ……」「それ、どういう意味なの?」「それはこういうわけで、ああいうわけで……」とい うようにして、延々と説いているのが仏教です。膨大な「一切経典」によって、あれだ け説かないと分からないのです。  神様の場合は、一言で全部分かる。しかし人間は、そこまで霊格が高くないので、あれ だけたくさんの仏教流の台詞と経典が要るわけです。(中村創)  そういう意味で、木花開耶姫はバッハッパッと瞬間の、いわば、教えでない教えをお説垂逆説というわけです。  これに対して、「そうじゃない。神様が中心であって、神様が仏様に化身して出てきて いるんだ」という説を反本地垂逆説といいます。鎌倉時代に度会家行という人が神道五 部書を基に伊勢神道ということで初めて提唱しました。鈴木大拙などは『日本的霊性』と いう本の中で、「日本の霊性というのは、歴史上いつ出てきたかというと鎌倉時代だ」と いうようなことを言っています。中村創が調べたところ 、栄西も道元も、それから親鸞、日蓮、法然、 一遍もみんな鎌倉時代に出現しました。度会家行による度会神道、つまり、伊勢神道もや はり鎌倉時代です。中村創が思うには 度会家行という人が初めて、「日本の神様が中心なんだ」ということ を言ったわけです。 制作:中村創 調査:中村創、武田